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2011年10月24日月曜日

中日 落合監督

プロ野球セントラルリーグの優勝を決めた、中日ドラゴンズの落合監督については、前にも書いたとおり、中日での8年間で、リーグ優勝4回、内、日本一1回、4位以下なしという輝かしい実績を挙げました。選手としても球界最高レベルです。

この落合監督は契約満了で退任しますが、あまり華々しい補強もなしに、これだけの実績を挙げるということは、監督の指導力、采配術が素晴らしいからでしょう。

それと、球界随一といわれる猛練習がありますが、選手がついてくるだけの監督の力がなければできないことです。

普段の姿勢があまり親しみを感じさせない、マスコミへの対応も素っ気なく、記者もあまり寄り付かないなど人気面ではいまひとつで、このような面では対象的な監督もいますが・・・。

それにしても、これだけの実績を挙げられのは、選手一人ひとりの実力、特徴を的確に把握する能力がなくてはできませんね。いつもじっと視ている冷静な観察力がベースにあるのでしょう。

落合監督の若い頃のエピソードについて、これは比較的よく知られていますが、ご紹介します。

落合さんは秋田県の出身で、秋田工業高校で野球をしましたが、一度は退部しています。大学は東洋大学へ進み、野球部で保守的な体質になじめず、退部、退学しています。

秋田でボーリングのプロを目指し、プロテストを受けようとしますが、試験当日、会場へ車で向かう途中スピード違反で捕まり、試験は受けられず、反則金でお金もなくなったそうです。

高校の恩師の勧めで、社会人野球の東芝府中に季節工として、入社。ここから、プロ野球人生への道が拓かれました。

落合監督の選手を視る目は素晴らしいですが、高校の恩師の目も確かというわけですね。

前に書いた村山元首相がフランキー堺さんから言われた「巡りあわせの人生、そのときを乗り越えると新しい展開がある」という言葉が、想い出されます。

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