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ビートたけしさんの浅草ばなし

25日のTBSテレビ、「ビートたけしが海老名さん家にやってきた」は、昭和の浅草について、数々の面白い話がありました。 この番組は、たけしさんが、林家三平さんの家を訪ねて、おかみさんや家族とともに、昭和の浅草について語るというものでした。ちなみにたけしさんは、以前からときどき三平さんの家に遊びに寄っていたそうです。 たけしさんは、テレビなどで売れるまでは、浅草で芸人として暮らしていました。そのときの体験談、見聞きした話です。 ★まず、変わった体験として、ある奇術師が白い鳩を使って奇術をやっていましたが、たけしさん はその鳩を食べてしまいました。そして、浅草寺の境内で普通の鳩を捕まえて代わりにしてもらいました。 ところが、鳩はいうことをきかずに、逃げてしまい、奇術は失敗し、さらに、寄席の天井で鳩がなくということで、舞台はだいなしになったということです。 ★たけしさんがNHK漫才コンクールの前夜、先輩の漫才師の家に来て、一緒に飲みたいということで、飲んで家に泊まりました。先輩の奥さんが舞台用のシャツを見ると真っ黒だったので、洗ってアイロンがけして、送り出しました。 コンクールでは前評判は高かったものの、優勝できませんでした。たけしさんによると、評価基準がその都度変わり、お前のは下ねたが過ぎるなどいわれたそうです。 その先輩は奥さんと飲み屋さんを経営していましたが、数年後たけしさんがやってきて、奥さんにシャツのお礼いうとともに、飲食の勘定を3万5千円といったのに、30万円置いたので、多いといったところ、みんなに飲ませてほしいといって帰ったそうです。後日談として、その話を聞いたビートきよしさんが、店に来て、そのお金で飲ませてと言ったそうです。 ★次は伝説のホームレスの話です。「寅さん」の渥美清さんがまだ浅草で芸人をしているとき、そのホームレスに、何か食べてくださいと、1万円(?)渡したところ、彼は渥美さんを観察して、「いまに、あんたはきっと売れる」といったそうです。 そのため、そのホームレスによくいってもらうと運がつくと噂になりました。あるときビートきよしさんが、ホームレスに5千円渡して、何か食べてくださいといったところ、「あんたは10年早い」と言われたそうです。 終わりに、たけしさんは浅草について尋ねられ、「浅草には夢がある。自分は

田中マー君・里田まいさん結婚へ おめでとう!

プロ野球・楽天イーグルスのピッチャー田中将大さんとタレントの里田まいさんが、昨26日結婚すると発表しました。二人については、以前から一緒に海外旅行に行ったりして、交際していたのでしょうが、その後のことは知りませんので、どうなったのかと思うこともありました。 マー君については、体の故障で働けない年もありましたが、昨年は最多勝利、最優秀防御率など輝かしい実績を挙げ、ダルビッシュ選手がいなくなった日本プロ野球を代表するピッチャーとなっていますね。 昨年は里田さんと交際中ですので、マー君の好成績の陰には里田さんがいて、二人の組み合わせは良い方向に影響しているのかもしれません。 ところで里田さんは、以前はカントリー娘というグループで歌手活動をしていましたが、その中で田中義剛さんの花畑牧場で働いたたこともあります。そして島田紳助が司会するテレビの「クイズヘキサゴン」に出演し、いわゆるお馬鹿キャラとして、木下優樹菜(ユッキーナ)さん、スザンヌさんとともに、ユニット「PABO]を組み、ブレークしました。 そのPABOのメンバーですが、お馬鹿ぶりはテレビで誰もが知っているわけで、「彼女たちの将来はどうなるのだろうか」、「お馬鹿キャラをこんなにもテレビで扱ってもいいものか」と余計な心配もしたりしました。 ところが、ユッキーナさんはお笑いFUZIWARAの藤本さんとさっさと結婚し、スザンヌさんもプロ野球ソフトバンクのコーチ斉藤(かっての大エース)と結婚して、彼を支えると頑張っています。 ということで、三人組の残りの里田さんはどうなるかと多少は気になったのですが、今回の発表で良かったと思いました。心配することはなかったですね。 マー君は風貌からしても浮ついた性格ではなさそうですが、里田さんのコメントでも、「まっすぐに前に進む人」ということですし、彼女も仙台に住んで、彼を支えることを優先するそうです。彼女は三つ年上の姉さん女房になりますし、料理も上手らしいので、頑張ってもらいたいと思います。 ハッピー・ウォーキング・グッズ    かさ傘いちばん    梅干しと健康のかわらばん

さんま御殿でウドちゃんの悲しい小遣い稼ぎを披露

25日のテレビ「さんま御殿」は、いつもながら賑やかなトークが飛び交いました。その中からキャイ ーンの鈴木ウドちゃんのお話をご紹介します。 キャイーンは今回は天野さんはいなくて、ウドちゃんの単独出演でした。ウドちゃんは人の話にもアッチコッチと口をはさみ、”さんま”さんとやり取りも多く、”さんま”さんとウドちゃんは結構合うの かもしれませんね。 「暴走して失敗した話」というテーマで、ウドちゃんは次のような話をしました。 ウドちゃんが、 キャイーンも結成前、売れる前のことです。売れない芸人のお決まりですが、時間はあるけれどもお金がない、ひもじい思いをしていたころです。 仲間のひとり(原始人?)と、何かをしてお金を稼ごうと相談した結果、「殴られ屋」をやろうということになりました。この世の中うっぷんが溜まっている人が多いだろうから、自分たちが殴られ役になって、1発100円頂こうということにしたそうです。 盛り場で、紙に「うっぷんのある人は殴ってください」と書いて商売を始め、何十人かに殴られ、さすがに痛くもなって、もう止めようとしたとき、怖そうなお兄さんたちが取り囲まれました。 そして、千円出すから殴らせろということになり、ふたりは殴られました。ウドちゃんは柔道をやっていたので、比較的冷静で、ある程度殴られたところで、もうお金の分は済みましたといって終わりにしましたが、連れは、ぼこぼこにされていました。 そして怪我もしていたため、病院で治療してもらうことになり、治療費が16,000円もかかりました。殴られ代の収入が1万円そこそこで、数千円の足が出た訳です。 芸人にはこのような経験もしている人もいるという、悲しいお話でした。これも芸の肥やしになっているのかな? ハッピー・ウォーキング・グッズ    かさ傘いちばん    梅干しと健康のかわらばん

鶴瓶さんと森山良子さん地元の人と出会いに感激

NHKテレビの「鶴瓶の家族に乾杯」、24日の放送では岐阜県多治見市を訪ねました。今回のゲストは歌手の森山良子さんですが、彼女はこの番組のファンで、出演を切望していて、漸く実現したのだそうです。 多治見市を選んだのは森山さんで、陶器で有名だからだそうですが、番組のスタートは市内を流れる土岐川の河原で、そこには陶器の小さな破片が沢山落ちていました。 森山さんと後で来た鶴瓶さんは陶器の破片を集めて、その由来を探ろうということになりました。2~3の人に聞いたところでは、地元の美濃焼きか隣の瀬戸焼きか、時代は古ければ江戸時代かもしれないということで、興味が増したようです。 その後でふと立ち寄った店に、破片と似た茶碗類が無造作に置かれていて、家人に話を始めました。初めに応対したのは奥さんで、どうしてもカメラに顔をだすのは嫌だと顔を隠しての応対ですが、2階に義父が集めた珍しい陶器を陳列してあるから、是非観てほしいとお願いし、鶴瓶さんと森山さんを案内しました。 そこにはさまざまな陶器が陳列されていました。この家は陶器の卸商をしているのですが、義父が台湾の故宮博物院の陶器に惹かれて、そのレプリカを多数収集して、展示しているのだそうです。レプリカといっても秀作揃いで、中には百万円以上もするものも並んでいます。 ご主人も登場して、話をき聞いている内に、先代は亡くなって、高齢の母親が別棟にいることが分かり、鶴瓶さんたちは会いに行きました。ご機嫌がよくないからとご主人は心配しましたが、鶴瓶さんをみるとその母親は大歓迎です。 この番組の大ファンで、多治見に来てくれることを望んでいたそうです。そして、折角だから亡夫(先代)に会ってくださいととのことで、仏前に案内し、鶴瓶さんたちはお参りをしました。 そこで、なれそめなど聞いていましたら、亡くなった先代は森山さんのファンで、「なだそうそう」が好きだったとのことで、これには森山さんも大感激でした。 この番組では、各地でさまざまな人々と偶然の出会いをし、愉快な会話が交わされますが、偶然ながら不思議なつながりが浮かび上がってくることがあります。 今回も、なにげなく立ち寄った先の奥さんが義父の収集品を見てもらいたいとの想いから、ご主人、その母親、亡くなった父親(先代)まで、つながり、鶴瓶さんと森山さんのファンだったことま

”さんま”さん今週も「行列のできる法律相談所」を司会

22日「行列のできる法律相談所」は 先週 に続いて、明石家さんまさんが司会を務めました。1度に収録したものを2週にわたって放送したようで、出演者も同じ、テーマも同じで、女性ゲストが告発する「女性の敵」を、暴くものでした。 女優の生稲晃子さんは俳優の布施博さんを告発しました。仕事の打ち上げパーティの後、布施さんから家まで送ると言われて、タクシーで着いた所が布施さんの自宅前、そこで強引にキスされたということです。”さんま”さんのリードで、タクシーで送ると誘われたことが、後のことも了解となるのではないかなど賑やかなトークとなりました。 女優の川島なお美さんは、”さんま”さんを告発しました。彼女が結婚を決めたとき、”さんま”さんに食事をご馳走し、結婚の報告をしました。しかし”さんま”さんは「おまえは絶対に結婚できない女だ」と取り合わなかったそうです。 また、”さんま”さんの誕生祝いとして、1本200万円以上もするロマネコンチ、それも”さんま”さんの生まれ年産のものを用意しましたが、飲んだ”さんま”さんは酸っぱいとしか言わなかったということで、人の気持ちを無視すると責めていました。 ”さんま”さんはワインについて、いくら高かろうと、世間が美味しいといおうと、価値観を押し付けてはいけない、自分は酸っぱいと感じだのだと言っていました。これはもっともですね。 フリーアナウンサーの小林麻耶さんはやはり”さんま”さんを告発しました。「恋の空騒ぎ」にまだ学生の小林さんが、出演したときに、ゲストの歌手・泉谷しげるさんから、言葉を投げられ、聞き返したら、泉谷さんがいすを振りかざし、小林さんが涙を流すシーンがありましたが、司会の”さんま”さんはかばわずに、突き放したといことです。 女優の国生さゆりさんはアンジャッシュの渡部さんを告発しました。おニャン子当時、渡部さんはファンクラブにも入るほど熱心でしたが、あるパーティで国生さんにしつこくつきまい、迷惑したそうです。 2週間をとおして、最も悪い「女性の敵」を弁護士軍団が選定し、結果は布施博さんということになりました。生稲さんを、自宅前で強引にキスしたものですが、法律的な見解では、体を押さえて拒否できない体勢で、キスしたことが問題だということでした。 布施さんといえばそちらの方面ではかなり有名な人ですから、用心も必要だ

卓球 福原愛ちゃん おめでとう!

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卓球の福原愛選手が、21日、全日本選手権で優勝しましたね。おめでとうございます。 「愛ちゃん」と日本中で、あるいは中国でも「小愛」として、親しまれ、人気者ですが、日本選手権は13回目の挑戦で、初めて手に入れることができたのですね。 愛ちゃんは3歳から卓球を始め、幼児のころからテレビにも登場して、瞬く間に人気者になっていきました。特に負けて泣く姿が、みんなに強い印象を与えています。 小学生でプロ活動に入り、大阪に移り住んだ後、青森県に再び移住するなど、卓球一筋に打ち込んで、何回も国の代表選手にも選ばれ、北京オリンピックでは旗手を務めるなどしました。 しかし、日本選手権など国内大会では、思うような結果を残せない時代が続き、そのうちに、後から出てきた石川佳純選手に先に全日本での優勝をさらわれてしまいました。 卓球に疎い私などは、愛ちゃんの実力はどんなものだろう、ひょっとしたら、テレビなどが作ったアイドルだったのだろうかとも思ったりしました。このままじりじりと存在感が失われていくのかもしれないとも思いました。 少し前に、テレビで愛ちゃんが、ウィークポイントの強化などかなり練習を積んでいると報道されていましたが、それが今回の全日本選手権で見事に生かされ、石川選手にも完勝することができたようです。 改めて、愛ちゃんの過去をネットなどで調べてみると、実に数多くの輝かしい実績を積み重ねています。ただ、国内試合に弱かったということは事実のようです。 実績を挙げるには、それには長い年月の厳しい練習の積み重ねがついてまわりますが、とにかく決してテレビなどが作ったアイドルではないことがよく分かりました。 それだけに、今回の優勝は本人がいちばん喜んでいるでしょうが、私たちもほっとし、喜んでいるのです。 今年は、オリンピックもあります。 精一杯のプレーを期待しています。 なお、蛇足ですが、今日の新聞のスポーツ面には当然愛ちゃんの写真が大きく載っていますが、横には全豪オープンで16強入りした錦織選手の写真も並んでいました。ふたりの活躍を祈ります。 ハッピー・ウォーキング・グッズ    かさ傘いちばん    梅干しと健康のかわらばん

体操金メダリスト・森末慎二さんのおもしろばなし

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ロサンゼルスオリンピックの体操で金メダルをとった森末慎二さんが、NHKラジオに出演して、いろいろなエピソードを話していました。ブログなどの資料からも含めて紹介します。 よく知られていますが、森末さんはそのオリンピックで、個人・団体合わせて鉄棒を3回演技しましたが、3回とも10点満点という、信じられない実績を挙げています。 鉄棒での失敗はどういうときに生まれるかについて、森末さんは、「難しい技の部分で失敗はなく、そのポイントが済むと、頭の中でどう着地するかと考え、途中のことに注意がいかなくなり失敗することが多い」とのことでした。最後まで気を抜いてはだめということでしょうね。 森末さんは体操引退後は、芸能活動をしながら、現在は学校で教え、また、体操協会の役員をしたり大活躍ですが、芸能活動の中では、バラエティのほか、落語家や歌手としても知られています。 落語との関係は、意外ですが学生時代から、競技の前など眠られないときがあって、その癒しに落語を好んで聴いていたそうです。中でも亡くなった桂枝雀師匠の大ファンで、ロサンゼルスにもテープを持っていき、それで金メダルがとれたとまで言っています。 後日、テレビ番組で枝雀師匠と初めて会って、金メダルを直接見せて、大感激だったと話していました。森末さんは、落語を金原亭世之介師匠に入門し、後に金メダル亭慎二という高座名を持って、何回か高座にも上がっています。 あるとき、尊敬する枝雀師匠に稽古をつけてもらおうとアポイントなしで、師匠の自宅を訪ねました。家には居られるようですが、電話にも出てもらえず、4時間ほど隣の公園で過ごして帰ったそうです。数日後に師匠は自殺したということです。 森末さんが、今の時代の選手について、水泳の北島選手など有言実行型、体操の内村選手など緊張しないタイプなどが、頼もしいと言っていました。 やはり、有言で自分から言葉を発していると、自分でもその意欲が強まるし、周りもそういう風に受け止めて、支援してくれることもあるとのことでした。自分が今までそうしてきたようですし、石垣島へ家を造って移り住む自分へのエールでもあるようです。 ハッピー・ウォーキング・グッズ     かさ傘いちばん    梅干しと健康のかわらばん

杉の村に花粉症なし!

世界で一番大きい杉の林がある村には、杉花粉症の人はいないということでした。19日のNHKテレビから、ご紹介します。 その杉林は、中国のやや南部の内陸にある貴州省にありますが、杉林の大きさは北海道に近いそうです。 そこを元ボクシングチャンピオンの内藤大助さんが訪ねました。内藤さん自身が花粉症持ちだそうですが、現地では少しもその気配がなかったそうです。花粉症の要因の一つは排気ガスなど空気の汚れといわれますが、現地はそれだけ空気がきれいということのようです。 訪れた村は、山間地の寒村のようでしたが、建築物はすべて杉で造られて、しかも釘を一本も使わず、木組みだけで、高層建築まで造っています。昔の日本建築もそうだったと思いますが、すばらしい技術です。 部落の中心地には鼓楼と呼ばれる、高層の塔が建てられていて、そこで長老が会議を開いて、重要なことを決めていく村のシンボルの場所だそうです。 その塔は一人の棟梁の指図で村中の人の共同作業で建築されますが、驚くことに村には文字がないため、設計、工法はすべて棟梁の頭の中にあるそうです。それでいて、精緻な高層建築を造るのですから、驚きです。 杉の建築物が並んでいるだけに、怖いのは火事で、週に一度は消火訓練を欠かさないそうで、火事が怖いことは日本と変わりません。 また、人々は杉の木を大切にしていて、結婚するときに杉の苗木を植え、子供が結婚するときにその木を伐採し、家を造り、また苗木を植えるそうです。 部落の守り神として、樹齢300年の杉の木があり、節目節目にお参りし、子供にもその風習を受け継がせるようにして、伝統をつないでいます。 杉の木はさまざまな生活用品に加工されますが、ユニークなのは、老人になると自分で杉の木をくりぬいて、自分の棺を作るということです。ただし、その棺を寿(ことぶき)と呼び、それを作ると却って長生きするそうです。 文化大革命のときには伝統が否定されましたが、その後復活させたそうです。娘さんたちも可愛らしく、郷愁を誘う村でした。 ハッピー・ウォーキング・グッズ    かさ傘いちばん    梅干しと健康のかわらばん

明石家さんまさんが「行列のできる法律相談所」の司会を!

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15日の日本テレビ「行列のできる法律相談所」の司会者に、とうとう明石家さんまさんが登場しました。やはり、爆笑の連発で、視聴率も跳ね上がったようですね。 島田紳助さんの引退後は、東野さん、宮迫さんなどが交代で司会を担当してきましたが、やはり物足りないものではなかったかと思います。 今回満を持しての”さんま”さんですが、自ら、「自分は紳助と同期だし、吉本で紳助の穴を埋めるのは自分しかいないだろう。それなのにちっとも声を掛けてくれないんだ」と言って番組を始めました。 今回のテーマは「絶対に許せない女の敵」ということで、ゲストの女性陣が、セクハラを受けたなどそれぞれの敵の行状を暴露し、その後その男が登場、対決するものでした。 例をあげれば、日本テレビアナウンサー宮崎さんvs井上順さん(おさわり、頬をなめる)、スザンナさんvsアンガール田中さん(しつこく言い寄る)、SHELLYさんvsピース綾部さん(自分のもの扱いする)、鈴木奈々さんドランクドラゴン鈴木さん(トーク中つばのシャワーを浴びせる)などなどです。 それらのトーク中に”さんま”さんがやたらと口を挟み、それがまた爆笑を誘っていました。また東野さん、宮迫さん、後藤さん、磯野貴理子さんなどレギュラー陣やゲストの川島なお美さんなどとテンポのいいやりとりで、生きのいいバラエティになっていました。 レギュラー陣も”さんま”さんにいじられることで、自分を引き出してもらっていたようでしたね。 さすが、”さんま”さんといったところです。 それにしても、女の敵とされた男たちは、いろいろなことをやっているものですね。また、こういう場面に出てきて、みっともないところを晒すのも、出来レースでしょうが、芸人はやや悲しいものですね。 ハッピー・ウォーキング・グッズ    かさ傘いちばん    梅干しと健康のかわらばん

大相撲 横綱白鵬と双葉山

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大相撲初場所は、横綱白鵬と把瑠都が全勝(7勝)で並んで、久しぶりに後半まで競り合うことになりそうな気配です。 白鵬は尊敬する人として、不世出の横綱双葉山を挙げていますが、今日はその双葉山の連勝が69でストップした日です。 双葉山は3年近く勝ち続けて、1939年の1月15日に、前頭3枚目の安藝ノ海に敗れました。負けたことがビッグニュースだったようですが、関連する話にもいいものが伝えられます。 双葉山は負けた日に、安岡正篤師に電報で、「われいまだ木鶏たりえず」と報告したといわれます。勝負に臨む自分の精神が未熟で、平常心を保てなかったと反省していますが、強いこともともかく、いろいろな言動からも人格者といわれ、尊敬され「角聖」とも呼ばれています。 また、双葉山を破った安藝ノ海についても、師匠は「勝って騒がれるよりは、負けて騒がれるようになれ」といわれたそうで、これもいい教えですね。 白鵬は以前からこのような双葉山を尊敬しているといわれますが、日本人がともすれば忘れがちになりそうなところを、想い出させてくれたと思います。 白鵬自身の連勝記録は、昨年1月場所の11日目に稀勢の里に敗れて63でストップしています。その後については、勝つには勝っていますが、勝手なことをいえば、それ以前のような勢いが少し失せているような感じを受けます。 トップの座を守っていくには、モチベーションを維持する必要がありますが、これがむつかしいようですね。最近の白鵬の土俵上の動作の中で、ちょっと気になることがあります。制限時間がきて最後の仕切りの塩を取りに戻るときに、小走りに戻るようです。もっと堂々としてはと感じますが、これも気持ちを高揚させる、モチベーションアップの方法なのかもしれませんね。 いずれにしても、白鵬には双葉山にならって、風格のある大横綱になってほしいと思います。 ハッピー・ウォーキング・グッズ    かさ傘いちばん    梅干しと健康のかわらばん

桂三枝さん お笑いの原点求めブラジル紀行

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落語家の桂三枝さんは、今年7月に六代目桂文枝を襲名しますが、それを前に、お笑いの原点を求めてブラジルへ旅行し、その模様が14日NHKテレビで紹介されました。なぜブラジルだろうかと興味を持ちました。 三枝さんは大阪で生まれ育ちましたが、小さいとき戦争で父親を亡くしています。そして母親とふたり、やや寂しい環境で育ったそうで、そういう状況がお笑いに惹かれた背景にあると言っていました。 ブラジルでは、まずサンパウロの街を散策し、市場を訪れましたが、沢山の店が並び活気のある様子でした。店の人とのやりとり、かけひきも実際に体験し、大阪と同じ状況だと印象深かったようです。また、一つの店の豚の顔をモチーフにした看板と店主の鼻が高いことにに大変興味をもち、後で創作落語に採り入れたいとのことでした。 サンパウロ周辺は日系人が100万人くらい住んでいるそうですが、日本人街もあり、大阪橋という名前の橋や〇〇理髪店という、昔の日本の散髪屋さんそのままの店があったりして、またそこに日本人が集まって、四方山話をしている様子が紹介されました。 そういう環境がお笑いの世界にも通ずるそうです。 もうひとつ三枝さんが希望した所がありました。それは農場を営む日系人の大家族に会うことでした。見渡す限り自分の農場だという広大な土地でオレンジを栽培、出荷している家族ですが、50年ほど前に宮崎県から移住したのだそうです。 ご主人は亡くなり、90歳を超す女性を筆頭に、4代78人の大家族でした。そのほとんどが集まり、三枝さんを迎えてくれましたが、大変な苦労もしながら、一つの家族からそこまで裾野が広がり、明るい家族を作り、また次世代に引き継いでいくということでした。 三枝さんは自分の環境が寂しく、友達が家に来てくれても、帰られるのが嫌で、引き止めるためにも面白いことを考えていたとのことで、このような大家族に感激していました。 ウクレレで「鈴懸けの径」を唄っていたのも意外でしたが、メモ帖への書き込みとともに、IPADなどを操作しながら、取材資料を整理するのもちょっと驚きでした。 今回の体験は、いずれ創作落語として、発表するとのことです。 ハッピー・ウォーキング・グッズ    かさ傘いちばん    梅干しと健康のかわらばん

石田純一さんの「不倫は文化」は名言か迷言か?

7日のテレビ朝日「徹子と羽鳥 あの真相全て聞きます」に、俳優・タレントの石田純一さんが息子の石田壱成さんとともに出演しました。 いろいろなことが話題にされましたが、まず有名な「不倫は文化だ」発言について、真相がただされました。 この言葉は非常に有名で、石田さんのトレードマークのように扱われてきましたが、本当はどうだったのでしょうか。 石田さんの説明によると、ゴルフ場でレポーターに食い下がられ「文化は音楽やそういうもの(不倫)などからも生まれることもあるのではないか」と発言したのだそうです。それが記事としては「不倫は文化だ」になったとのことです。 非常に上手くまとめたフレーズでインパクトがあるため、この言葉が一人歩きしたようです。本人の発言とマスコミなどで伝えられる言葉の食い違いは、いろいろな世界でよくあることで、聞くほうも気をつける必要がありますね。 番組で、黒柳さんがすかさず「あなたは不倫をしていたのでしょう?」と発言し、石田さんも否定はしないやりとりがありました。その方面では、かなりの実績のある石田さんでしょうから、ひょっとしたら、あの言葉はやはり、石田さんから出るのがふさわしいのかもしれませんね。 もうひとつの話題ですが、素足で靴を履くことについてです。本人はイタリアへ行ったとき、格好いい男たちがソックスを履いていなかったので、真似たと説明しました。 これについては、俳優の岩城滉一さんが登場し、素足は自分のほうが元祖で、自分の素足を見て、石田さんも始めたと証言しました。イタリアのことも本当かもしれませんが、岩城さんのことも事実のようです。 石田壱成さんとのことは、複雑な経過を経てのことですが、壱成さんが不祥事を起こしたときには、父子で関係先にお詫びに回ったとのことで、過去の埋め合わせをしているのかもしれませんね。 ウォーキング・グッズ    かさ・傘     梅干しと健康のかわらばん

なでしこ澤選手と佐々木監督 最高の栄誉

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ご存知のように女子サッカー「なでしこジャパン」の澤穂希選手選手がFIFAの女子最優秀選手賞、佐々木監督が女子最優秀監督賞に輝きました。本当におめでとうございます。多くの方々から賞賛の嵐が寄せられていますが、私も雑感を記させていただきます。 授賞式の様子を見ると、あのような栄誉に輝いて本当はとても興奮していたのではないかと思いますが、二人とも落ち着いていて、自然体であったように見えました。 澤選手は、ワールドカップ優勝の時、トロフィーを掲げて喜びを爆発させていたときとは違って、昨年の園遊会でも見せた青色の振袖を着て、非常にすがすがしく、まさに大和なでしこの姿を世界に印象付けたと思います。 佐々木監督もタキシードを着用し、落ち着いていました。失礼ながら、あのような大きなセレモニーのステージに立つなどはあまり経験されていないと思われますが、堂々としていて、大きく見えました。 二人とも、これまで培った実績に裏打ちされていたのでしょう。澤選手の成績が素晴らしいのはいうに及びませんが、佐々木監督の監督としてのちからも高く評価されています。 受賞後もマスコミなどでひっぱりだこですが、伝えられるコメントも控えめで、好感をもって迎えられています。よくあるビッグマウスとは無縁のようで、なによりです。 それから、佐々木監督の奥様とお嬢さんが同行されて、テレビなどでも紹介されていましたが、家族の方々も、浮ついた様子もなく、ごく自然にふるまわれていたようで、感心しました。このような監督だから女子チームを上手くまとめていけるのかなとも思いました。 いずれにしても、全体をとおして新しい日本人を見るような感じがしたというのは、思い過ごしでしょうか。 ウォーキング・グッズ    かさ・傘    梅干しと健康

欽ちゃんとSMAPの意外な関係 恩人?

3日にテレビ朝日で「中居正広の怪しい噂の集まる図書館」が放送されましたが、10日、続編として欽ちゃんこと萩本欽一さんをめぐる噂が紹介されました。 この番組では中居さんがゲストの欽ちゃんに、噂が真実かどうか迫るものですが、今回は、中居さん自身を含むSMAPと欽ちゃんの関係の話が主体でした。 欽ちゃんとSMAPというと、接点が少ないないように思いますが、意外な事実が明らかにされました。 SMAPが発足のころは、今からは想像もしにくいですが、あまり仕事もなく、メンバーされぞれが、いろいろなオーディションを受けて、チャンスを探していました。 そして欽ちゃんの番組のオーディションにも応募したのです。まず、勝俣さんなどがいるCHA-CHAのオーディションに草薙さん、キムタクさんは合格し、中居さんは不合格だったそうです。 欽ちゃんの説明によると、合格、不合格の判断は、質問に対するその人の回答によるそうです。キムタクさんは、「好きな食べ物は?」に、「お母さんの作ったおいなりさん」と答え、草薙さんは、「好きな色は?」に対し、「澄んだ空の青」と答えたそうです。 中居さんについては、欽ちゃん自身は覚えていないと言っていましたが、中居さんによれば、「好きな食べ物は?」に対し、「西瓜」と答えました。 合格した二人については、人とは違うアッピールするところがあるが、ただ西瓜というだけでは平凡すぎるというのが、欽ちゃんの説明でした。 草薙さんはSHA-CHAの収録までしましたが、オンエアされず、キムタクさんは練習にも参加しなかったそうですが、これについて欽ちゃんは、二人は今後スターとして育っていく素質があり、お笑いでくすませてはいけないから、ジャニーズにお返ししたと話しました。 二人は輝き過ぎて、欽ちゃんの他のメンバーとバランスが悪いということもあったようです。キムタクさんと草薙さんがそのまま欽ちゃんファミリーになっていたら、後のSMAPはなかったかもしれません。欽ちゃんの見る目があったということですね。 しかし、中居さんは、不合格になりましたが、SMAPで大きな花が咲いたので、これも結果的には欽ちゃんのお陰といえますね?? ウォーキング・グッズ    かさ・傘    梅干しと健康

ピンクレディー解散の真相を告白~テレビで

7日のテレビ朝日「徹子・羽鳥があの真相をすべてききます」で、ピンクレディーの二人が登場し、解散当時のことを直接語りました。 ピンクレディさんはご承知のように1976年~1981年の間に爆発的な人気を博し、歌とともに振り付けも、現在にいたるまで、根強く受け継がれています。 しかし、人気絶頂のときに、アメリカへ進出し、帰国後間もなく解散してしまいましたが、真相はあまり明らかではありませんでした。 番組で二人が話した内容はおおむね次のようなものでした。 これまで一般にピンクレディのアメリカ進出は失敗だったといわれてきましたが、本人たちはそうは言っていません。ヒットチャートで上位にいき、また有名テレビ番組で順レギュラー級の扱いを受け、成功といえるのではないかと思っていると発言していました。 実際に調べると、当時ビルボード「総合」で37位になり、日本人としては坂本九さんにつぐポジションのようです。 しかし、日本国内での評価は否定的なものが多いのは何故か?業界やマスコミの動向が好意的ではないことも影響しているのではないかと感じられましたね。確かにピンクレディーには一時の勢いはなくなり、松田聖子さんなど次世代の台頭もあるときでしたし、1978年の紅白歌合戦を辞退したことも背景にあるのかもしれませんね。 番組でピンクレディさんは、アメリカから帰国時の記者会見では、「失敗だったのではないか」、「二人の間に対立があるのではないか」などの質問が多く、不満だったようです。 解散の理由は、今までマスコミをとおして、二人の不仲説や、役目が終わったという燃え尽き感が伝えられてきましたが、今回の番組で、ケイさんから次のような発言がありました。 当時ケイさんは付き合っている男性がいて、同じ業界の人でした。結婚問題について、彼からは自分をとるか、仕事をとるかと迫られ、ケイさんは悩んだ末に、彼を選びピンクレディは解散せざるを得なかったということでした。 その後について、ケイさんは決断して数ヶ月して、彼から「ごめんなさい」と、破局が訪れたそうで、両方を失ってしまったといいうのが、真相のようです。 ウォーキング・グッズ    かさ・傘    梅干しと健康のかわらばん

江角マキコさんの日本たばこバレー部時代~ぴったんこカン・カン

女優・タレントの江角マキコさんが、もと実業団のバレー選手だったことは知られていますが、その内容は今まで本人が封印してきたため、分かりませんでした。6日のTBSテレビ「ぴったんこカン・カン」は江角さんと安住アナウンサーが、大阪を訪ね封印を解きました。 江角さんは島根県の大社高校を卒業して、現在の「日本たばこ」に入社、大阪に拠点を置く、同社の女子バレー部の選手となりました。 本人によれば、大社高校自体はバレーの強豪校はなかったのですが、垂直跳びがバレー選手で全国一だったため、日本タバコとソニーから誘われたそうです。 今までこのバレー部時代を封印してきたのは、つらい想い出ばかりで、自身も想いだしたくなかったからのようです。 当時は、半日事務所で仕事をしていましたが、所属は「塩販売二課」(ショムニを連想させます)で、塩の専売時代に卸販売の許可を担当する部署でした。 午後から電車で体育館に移動し、深夜まで練習するのですが、とにかくつらいことが多く、練習にいくのも憂鬱だったそうです。 生活は合宿所で、先輩の洗濯も新人の仕事で、いろいろとストレスが溜まっていったようです。田舎で育った女の子が一人で新環境に飛び込むのですから、無理もありません。父親が亡くなっていたのも、余計に自分が頑張らなくてはという要因になっていたかもしれません。 入社1年半くらいのそんなとき、事件が起こりました。合宿所の食堂の当番で江角さんがテーブルを拭いていたら、マネージャーが、拭き方が悪いと注意しました。 そこで江角さんは、切れてしまったのです。とにかく家に帰ろうと寮を飛び出しました。会社の名前入りのジャージ姿、スリッパ(本人は今回同僚からいわれるまでスリッパとは思っていなかった)のままでした。 電車などで伊丹空港へ行き、会社の人に捕まってはいけないと、国際線に隠れたうえ、出雲へ飛んで、自宅へ辿り着きました。 ところが、母親はそんな娘を家に入れてくれず、高校時代の監督から話してもらって漸く家に一泊し、翌日大阪にもどりました。 寮では罰として本人とマネージャーを寮の掃除を1ヶ月間やらせられることとなり、遅れて練習に参加したそうです。そのため、十分なウォーミングアップなしで、アタックの練習をすることとなり、打った瞬間に腕に激痛が走りました。結果上腕二頭筋を断裂し、選手

欽ちゃんのエピソード~斉藤清六さん

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3日放送のテレビ朝日「中居正広の怪しい噂の集まる図書館」から、前回に続いて欽ちゃんこと萩本欽一さんのエピソードをご紹介します。この番組では中居さんがゲストの欽ちゃんに噂が真実かどうか、明かしてもらうように迫りました。 ちょと古い話ですが、1976年から約10年間続いた人気絶大の番組「欽ちゃんのどこまでやるの!?」に関係するお話です。 その番組で、変わったアナウンサー役を演じて人気者となった斉藤清六さんがいます。斉藤さんは欽ちゃんの大ファンで、あるとき欽ちゃんの自宅に押しかけて、「弟子にしてほしい」とお願いしました。欽ちゃんは、「勉強してから来るように」と、浅草のあるところを教えて帰しました。 数年後、欽ちゃんはテレビ局関係者から、浅草の街頭で欽ちゃんの宣伝をしている人物がいるとの話を聞き、調べてみました。すると斉藤さんが毎日、サンドイッチマン風に街角で欽ちゃんの映画などの宣伝をしていてくれたことが分かりました。 そこで、番組関係者と相談して何とか使おうということで、前述のおかしなアナウンサー、番組中では「いなかのアナウンサー」として出演させました。そして、とぼけた語り口、変なヘアスタイルなどで急速に人気を得ていきました。 「欽どこ」も終了し、さすがの欽ちゃんもひところの勢いがなくなり、作った映画も不入りで、借金を抱える状態に陥りました。そのとき、突然に斉藤さんが現れ、欽ちゃんに映画のチケットを売ってくださいと1000万円をポケットから取り出しました。 斉藤さんは本当に欽ちゃんが好きで、大将が困っているのを黙って見ていられなかったのです。斉藤さんは、「このお金は自分のものではない、欽ちゃんに稼がせてもらったお金を貯めてあったのだから使ってほしい」といったそうです。しかし、欽ちゃんはそのお金を受け取ることを断りました。 欽ちゃんがいうには、斉藤さんという人は、不器用だけれどもこうしろといったいったらいつまでもやっている人だそうです。 さらに、自分のお葬式は斉藤さんにやってもらいたいとも言いました。なぜなら、人とは変わったことをやって、みんなを笑わせてくれるだろうからだそうです。 一般人には分からないこともありますが、欽ちゃんの人間味と芸人魂が感じられますね。 ウォーキング・グッズ    かさ・傘    梅干しと健康のかわらばん

欽ちゃんのおもしろエピソード

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SMAP中居正広さんが、欽ちゃんこと萩本欽一さんに迫りました。3日放送のテレビ朝日「中居正広の怪しい噂の集まる図書館」から、ご紹介します。 欽ちゃんは数多い人気バラエティを作っていますが、その一つ「欽ちゃんのどこまでやるの!?」にまつわる話です。 このホームバラエティは、欽ちゃんが父親、真屋順子さんが母親で、家族の成長を背景にして、連続ドラマ風に展開していくものです。 子供は、まず長男の見栄晴ですが、誕生当時は人形を使い、2代目は子役、3代目が後に芸名も見栄晴とした高校生でした。 その3代目を決めるときオーディションをし、最終候補の2名(見栄晴さんは2名しかいなかったと証言)のどちらにするかについて、欽ちゃんは二人にじゃんけんをさせ、見栄晴がパーを出し勝ちました。翌日見栄晴に電話で合格と連絡してきたそうです。 柳葉敏郎さんも「欽ドン」のほうですが、応募しました。何人かの応募があり、一人に決めるとき、初めに電話をかけたのが柳葉さんで、それだけでに決定(良い先生役)したとのこと、これは柳葉さんも別の番組で話したことがありましたね。 今回の番組で関根勤さんもコメントしましたが、欽ちゃんは、そのときどきで悪くいえば場当たり的な判断、発言をしているようですが、結果的には次の発展につながるようなことが多く、結局欽ちゃんの判断力、運が優れているということのようです。 次の話は、「欽どこ」の三人娘「わらべ」についてです。のぞみ(高部さん)、かなえ(倉沢さん)、たまえ(高橋さん)は、「めだかの兄弟」の歌も人気が出て、大切なキャラクターでした。しかし、高部さんが16歳で、ベッドで喫煙(裸らしい様子)のところをフォーカスされてしまいました。 欽ちゃんは出演を続けるべきか、降ろすべきかで悩み、結局は降板させましたが、最後に本人から直接話しをさせたい、しかし、姿を見せることは局が許さない状況でした。 そこでその回は、生放送とし、最後の場面で、母親の真屋さんが高部さんに電話し、本人からお詫びをさせました。 そして、かなえ、たまえと真屋さんが電話しながら「めだかの兄弟」を唄ったということで、その感動のシーンが初めて再放送されました。当時その回の視聴率は42%だったそうです。 欽ちゃんの悩みと暖かさが、もちろん関係者も含めてですが、よく伝わりました。 ウ

中居正広さん どん兵衛のCM降板?

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3日放送のテレビ朝日「中居正広の怪しい噂の集まる図書館」から、ご紹介します。この番組ではゲストにかかわる噂が、本当かどうかというテーマで紹介し人気がありますが、今回は中居さん自身が試されました。 中居さんはご存知のように、日清食品の「どん兵衛」のCMに2004年から出演しています。そこで中居さんが、日清の類似の麺を食べてみて、味の違いを判定できるかどうかという試みです。出された物が普段食べている「どん兵衛きつねうどん(東日本味)」だったら白と判定し、そうでない場合は黒と判定するルールです。 中居さんは、どん兵衛が好きで、少なくとも週に1回は食べているので、CMでPRしている「どん兵衛のきつねうどん」の味は分かると自信を持っていました。 さらに試食前に「もし、不正解だったらCMを降板する」とまで発言しました。 番組では5種類の日清の麺が用意され、外見から判断できないように別の容器に入れて出されました。 1番目「ごんぶときつねうどん」、2番目「京うどん」、3番目は「どん兵衛きつねうどん(西日本)」は正解しました。 4番目は「北のどん兵衛きつねうどん(北海道)」でした。かなり迷いましたが、これを「どん兵衛きつねうどん(東日本)」だと判定しました。二つは似た味ですが、北海道のほうが少し甘いようです。 ということで、8年間もCMを担当してきた中居さんにとっては、具合の悪い結果になってしましました。 その直後、中居さんはスポンサーの担当者を含め関係者に、実はプライベートで食べているのは「どん兵衛のきつね”そば”(東日本味」なので、”そば”でもう一度トライさせてほしいと土下座のお願いをして、認められました。 再び、5種類が用意され、1番目に出されたのは、「北のどん兵衛天ぷらそば(北海道)」でした。これに対して中居さんは大いに迷いましたが、やはり「東日本味」だと判定してしまいました。 久本雅美さんからは「同じ味で間違えるなんて、馬鹿じゃない」といわれるなど、恥の上塗りの結果となってしまいましたが、降板問題はどうなるのでしょうか?(笑い) 味覚は微妙なもので難しいですね。別の番組で「芸能人格付けチェック」があり、梅宮辰夫さんや石田純一さんなど常連のグルメが、よく間違えていますが、中居さんにも同情しますね。 ウォーキング・グッズ    かさ

紅白歌合戦 長渕剛現地中継ほか

今回のNHK紅白歌合戦は大震災を踏まえて、いろいろな試みが盛り込まれていて、共感できる部分が多くありました。 長渕剛さんは、今回の出演者の中でただひとり震災の被災地から、生中継による参加でした。場所は事前には極秘にされていましたが、石巻市の門脇小学校の校庭からでした。 この学校は津波に襲われ、火災も発生して、大勢の人が犠牲になった所で、いまだに廃墟のような姿を中継でも少しだけ紹介していました。 周囲は墓地などもあり夜はほとんど真っ暗の所で、闇の中から長渕さんが、震災後に作った「ひとり」を熱唱しました。 このような場所で中継することには、地元の人の間でも賛否両論があるようです。長淵さんは震災後に被災地を訪問して、慰問、激励し、また被災地の子供たちを鹿児島まで連れて行って遊ばせたり、支援活動をしていますし、単なるパフォーマンスではなく、歌の前置きでも鎮魂のためといっていたことは分かる気がします。 長淵さんは、以前の紅白で壁崩壊後のベルリンから中継参加したことがあります。そのとき10数分間も独演し続けたため、進行を押してしまい森進一さんの歌を短くしたことがあるそうです。NHKには出入り禁止となりましたが、その後の紅白では、謝罪のため森さんの伴奏を務めたようです。今回も長い時間をとっていましたが、とにかくメッセージを発したい人のようですね。 ウォーキング・グッズ     かさ・傘    梅干と健康