東日本大震災1年 ホットするエピソード

昨年の3.11東日本大震災の犠牲になられた方々、被災された方々に改めて哀悼の意とお見舞いを申し上げます。

ここ数日はマスメディアも連日大震災を振り返り、報道していました。震災当時の悲惨な状況が各メディアが取り上げられ、傷ましい限りですが、中にはほっとするようなエピソードもあり、感動しましたので、記してみます。主として、11日のテレビ朝日の報道によります。

気仙沼市の離島である大島で、一人の少年とアメリカ軍との話です。大島は津波により大きな被害を受け、本土とのフェリーも運行できなくなり、災害の跡片付け、復興も手がつかない状況でした。
そこへアメリカ軍の海兵隊が「トモダチ作戦」の一環で島にやってきました。海兵隊は車両や重機も持ち込み、献身的な活動を展開しました。

海兵隊が往き来する道路際で、一人の少年が、毎日一人だけでスコップで何か作業をしていることに、海兵隊が興味を持ちました。そして何をしているのか尋ねました。

海岸に近いその場所は、親の鮮魚店があったのですが、跡形ももなく津波で流され、今は、倉庫に使っていた建物で、寝泊りしています。一日も早く元の所で店を始めてほしいと願っていますが、地盤沈下があって、潮の状況で敷地まで海水が寄せてくるのがそうです。

そして付近を通行する人も海水に濡れて困っているため、通路を高くしようとして、スコップで砂利を運んでいるということでした。運んだ砂利はすぐに水に流されてしまうのですが、少年は黙々と作業を続けていました。

それを聞いた海兵隊は、何人も協力して、通路を確保してくれました。お互い言葉は通しないのですが、こころは十分通じたようです。

この通路(小さな橋)を、少年の母親は、サイモンとガーファンクルにちなんで「明日に架ける橋」と名づけたそうです。小さいけれどもふさわしいネーミングですね。

大島でのトモダチ作戦が終了し、海兵隊が引き揚げるときには多数の島民が自発的に集まり感謝を表し見送りました。

なお、大島と本土の連絡フェリーは、数か月にわたり広島県の業者がフェリーを貸してくれたようです。
また、大島はかって欽ちゃんの番組で人気者だった「気仙沼ちゃん」が民宿を営んでいます。欽ちゃんたちも震災を大変心配していましたね。建物は被害に遭って、今は休業中ですが、いずれ再開するようです。頑張ってください。

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